不思議なものです。

本当に不思議なものです。


今から不思議な事実を話します。

人間は「相反する思考を抱えている」という不思議な事実を伝える話です。


この事実をご理解いただくには、このお話をするのが手っ取り早いでしょう。

話というよりも童話ですが。


こんなイソップ童話を憶えていますか。

「すっぱい葡萄(ブドウ)」または「狐と葡萄」という童話。



頭上のブドウの木からぶら下がっている一房のブドウを食べ損ねた、あるキツネの話です。

キツネはブドウを取ろうと高くジャンプしますが、そのおいしそうな果物にどうしても手が届きません。

何度か試みた後、キツネはあきらめ、「どうせあのブドウはすっぱいんだ。手に入れたとしても、どうせ僕は食べないさ」と自分に言い聞かせます。

この童話にはスタンフォード大学の社会心理学者、レオン・フェスティンガーが唱えた“認知的不協和”が描かれています。

“認知的不協和 ”(または相反する思考)とは、人間が「自分の知識や考えに反する行動を取る、または2つの相反する意見を抱えている」ために、苦痛を感じる精神状態のことです。

先ほどのキツネの場合は、ブドウはおいしいのにあきらめなければならないという葛藤が起こりました。

そこでブドウはすっぱいと思い込むことで、あきらめるという自分の行動を正当化したのです。



競馬予想の世界でも往々にしてよくある話です。

本当は勝ちたいクセに、勝ちをあきらめる人が大勢います。


『負けた自分を正当化する』のです。



「どうせこのレース当てたとしても大したことなかったさ」

「おれはあえて穴狙いだったんだ。あいつは面白くもなくカチカチの当たりをとっただけだ。しょうもない寒いもんだよ」

「おれはチョコチョコ当てるあいつとは違うんだ。勝ちたいだけじゃない、夢を見たいんだ。」

「おれもアソコを狙ってたんだ、誰がどう見たって簡単なレースだったからな。でも男らしくおれはおれの道を行ったんだ。安易な道じゃなくね。結果がすべてじゃないよ。次こそはデッカイのが来るさ」

「100万馬券こそが男の花道だ」

「カスでクソみたいな当たりは要らない、一発ドカンといくのが最高なんだ」



あきらめるという言葉には、元来「明らかに見る」という意味があります。

物事の真理をしっかり見定めること、それが「あきらめ」なのです。




私は昔、11年以上にわたり「負けた自分を正当化」して生きていました。

「負け犬の遠吠え」を何年も何十年も繰り返しました。



事実そして現実と向き合いましょう。

直面しましょう。

「あきらめ」ましょう。


受け入れないかぎり次のステージには進めません。

受け入れないかぎり新たなステップはふめません。




あなたは「負けた自分を正当化」していませんか…?


「負け犬の遠吠え」を何年も何十年も繰り返していませんか…??



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